IPPI STYLE
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短編 救急車が来る前に
 老人は溢れ出る汗を袖で拭いながら、必死に孫の心音を確かめていた。
 吹き抜ける冷風を避けるように老人は自らの身体を盾に、孫の顔を見つめる。
 辺りは瓦礫で溢れ、至る所で人々が助ける様は、阿鼻叫喚と呼ぶに差し支えなかった。
 老人は薄手のセーターを腕まくりして、孫の衣服をはだける。
 見たところ外傷はない。
 それだけでも、安堵の息が漏れた。
 しかし、まだ安心はできない。
 老人は慎重に触診を続けていった。
 医師を引退してから十数年。
 しかし今はそんなことを言ってはいられない。
 肝心の患者は今、意識を失っている。
 もしかしたら、最悪の事態も起こり得るのだ。
 意識を集中して心音を確認する。
 幸いにも脈拍は落ち着いていた。
 これなら救護が来るまで持ちこたえることができるだろう。
 今日ほど医者という職に就いていたことを喜ばしく思ったことはない。
 老人は衣服を元通りに整えると、顔を上げて周囲を見渡した。
 サイレンの音は一向に聞こえる気配がない。
 心の内に不安と焦りが募っていく。
 他の生存者も、声から力が抜けているのがわかった。
 このままでは、もしかしたら持たないかもしれない。
 老人は改めて、孫の顔を見つめた。
 孫の顔は少し目を離した隙に、青白く染まっていた。
 老人は急いで脈拍を確認する。
 孫の脈は驚くほど弱々しく、身体が冷え切っているのが指先で感じられた。
 そこで老人は思い出した。
 そして後悔した。
 再度孫の身体を注視してみるが、胸がまったく動いていない。
 つまり――息をしていないのだ。
 現役を退いていたからといって、こんな初歩的なことすら確認できていなかった自分に怒りを覚える。
 だが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
 一刻も早く、孫を助けなくては。
 だが、ろくに設備が整っていないこの場所で、何ができるのだろうか。
 心臓マッサージを試みようと胸の中心に手を置く。
 しかし、その手に力を込めることはできなかった。
 ――胸の骨が折れていたのだ。
 このまま考えなしに圧力を加えては、折れた骨が内臓に突きささる恐れがある。
 意識がないとはいえ、孫の身体を傷つけることはできなかった。
 老人は孫の身体に手を添え、そのままうつむく。
 身体はもう冷たく、脈拍も感じられない。
 老人は運命と自分のふがいなさを悔いながら、静かに泣いた。
 遠くで救急車のサイレン音が響いていた。
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短編 海の藻屑
 潮風が漂う海辺。
 海岸沿いの道路は人の気配が完全に消えていた。
 唯一辺りを照らすのは、点々と配置されている外灯と、空に輝く三日月の灯。
 その頼りない灯りの下、男は海の上に立っていた。
 いや、実際には海面からわずかに頭をつきだした小さな岩場の上に、だが。
 男は仁王立ちで、まっすぐに水平線を見つめている。
 ――ふんどし姿で。
 男は締まらない身体を巧みに動かし、鷹のポーズをとった。
 次いで構えたのはアリクイのポーズ。
 そして渾身の力を込めてのトーテムポールのポーズ。
 黒い海が白波を奏で、男の足元から引いていった。
 男は満足そうにうなずくと、自信に満ちた表情のまま片足立ちを始める。
 そのまま上げた足を頭まで掲げ、美しいY字バランスの体勢に変わった。
 でも、おなかはぽっこりと出ていて、お世辞にも体型は美しいとは言えない。
 男はその場で片足のままつま先立ちになり、回転を始める。
 オルゴールの音に合わせて動く模型のような、揺るぎない美しい回転。
 これが美男もしくは美女なら、芸術作品にも思えようものだが、今の男は残念ながら珍妙な生物以外の何物にも見えなかった。
 瞬間、突発的に波が男のすねを打つ。
 男のバランスが大きく崩れた。
 しかし男は飛行機のポーズでその場に踏みとどまる。
 ――だが、波の影響はバランスを崩すことばかりではなかったらしい。
 海水を被ったことで、足元の岩はとても滑りやすくなっていた。
 男は足を滑らせ、海に吸い寄せられていく。
 だが、男もただでは済まない。
 海に落下するまでのわずかな時間で、重心を後ろに倒して体勢を立て直そうと試みる。
 その結果――足場にしていた岩が男の尻に直撃した。
 傍から見れば、岩に座っているような格好なのだが、その表情は苦悶に歪んでいる。
「――っ!」
 男は声にならない悲鳴を上げながら痛みに打ち震え、横に倒れる。
 豪快な音と共に、男の身体が黒い海に飲み込まれた。
 しばらくして海上まで浮かんできた男の身体は、波に流されて浜辺へと打ち上げられる。
 その姿はまるで座礁した船やクジラを思わせる。
 そして時間は流れ、翌日。
 砂浜では、警察に職務質問され、連行されていく男の姿が確認されたのだった。
短編 沈黙の夕食会
 食堂にカチャカチャという音が響く。
 燭台に淡い火がともり、食事を共に過ごす者たちの顔をうっすらと浮かび上がらせる。
 真っ白なテーブルクロスの上に顔を並べるのは、三人の人物だった。
 一人は十代半ばと思われる少年、一人は少年と同い年くらいに見える少女。
 二人が席一つ開けて座る、その対岸に二十代前半の女性が席についていた。
 しかし、彼らの間に会話は一切なく、ただ黙々と食事を続けるばかりだ。
 窓の外は既に日が暮れ、紺色の空の下に黒い森が佇んでいる。
 静寂に取り囲まれた世界に、無機質な音が異様な存在感を放っていた。
 皿に乗った料理を粗方食したところで、女性は手近に置いてあった呼び鈴を鳴らす。
 風のように澄んだ鈴の音に誘われるように、給仕の女性が次の料理を運んできた。
 給仕は何も言わずに皿を取りかえると、事務的に食堂の外へと消えていった。
 そして、再び作業的な音が上がる。
 不意に、一際大きい金属音が響き渡った。
 少年がナイフを落してしまったようだ。
 しかし、残りの二人は意に介さず食事を続ける。
 少年は二人の様子を見回した後、ナイフを拾おうと床へ手を伸ばす。
「――っ!」
 消えたはずの給仕が忽然と現れ、落したナイフを拾い上げる。
 そして、代わりのナイフをテーブルの上に配置した。
 少年は傾けた体勢を元に戻すと給仕の顔を見て声をかけようとする。
「あの――」
 しかし給仕は少年の声を遮るように背を向け、去っていった。
 声をかけることは許されない、まるでそう言っているかのように。
 少年は深く息を吐くと給仕が置いてくれたナイフを手に取った。
 その瞬間、殺気にも似た気配を感じた少年は反射的に顔を上げる。
「…………」
「…………」
 そこにあったのは、鋭い目つきで少年を射ぬいてくる女性と少女の姿。
 しかし、やはり言葉が発されることはない。
 少年の背筋に冷や汗が流れる。
 少年の顔を見つめること数秒。
 二人はまた自らの食事へと戻っていった。
 異様とも思える、食事風景。
 少年は恐怖と緊張に打ち震えながら、儀式のような晩餐を明日も迎えることになる。
短編 研究所前の悲劇
 鮮やかに染まった紅葉も、この時間帯はその色合いを十分に堪能することはできずにいた。
「やっぱり、紅葉は昼間見るモノよね」
 懐中電灯を片手に呑気なことを言っているのは開襟のシャツにジーンズ姿の活発そうな女性。
 懐中電灯の光がメガネに反射して妖しく輝いていた。
「ふわぁ……」
 その隣で欠伸を噛み殺しながら歩くのは、黒いショートヘアがよく似合った少女だった。
 少女も同じく懐中電灯を照らしながら、暗い夜道を歩いていく。
「まぁ、どっちかというと不気味ですよね」
 少女はサラッと感想を言い放つ。
 メガネの女性はクスリと笑った。
「そうね。この暗さじゃ、血を吸ったみたいな色にしか見えないわ」
「先輩、趣味悪いですよ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
 女性は少女の言葉を軽く笑って返すと、足早に敷地の奥へ進んでいく。
 二人がやってきたのは数年前に廃墟と化した研究所だった。
 二人が歩いているのは、門から入口まで続く、長い楓の並木道。
「……ふふふふ」
 その後ろには、暗闇に紛れて二人をつける小さな影があった。
 しかし、二人はその気配に気付くことはない。
 影はゆっくりと、しかし着実に近づいてくる。
 二人は無防備な背中をさらしながら、研究所の入口で立ち止まった。
「――それにしても、ボロい建物ね」
「そうですね。先輩……鍵開けるの面倒だからって壊さないでくださいよ」
「わかってるわよ。その為にわざわざ申請通して、鍵作ってきたんだから」
「ならいいですけど……」
 まるで緊張感のない二人。
 その二人を恐怖のどん底へ突き落とすべく、背後の影は声を上げた。
「うらめしや~」
 それは可愛らしい女の子の声だった。
「……ん?」
 メガネの女性は振り返ると、メガネをクイと持ち上げる。
 一方少女はというと、懐中電灯でその影を照ら出した。
「ちょっと、眩しい。やめてくださいよ!」
 光を浴びた影は、その姿を現した。
 そこには小さな白い着物姿の女の子が必死に顔を背けるさまがあった。
「……誰?」
 面倒くさそうに女性は言い放つ。
「幽霊ですよ! 怖いでしょ!」
 女の子は薄い胸を反らせて、自慢げに言う。
 しかし少女は気に留めることもなく、顔に光を照らす。
「って言ってますけど、どうします?」
「ちょっと眩しいって。やめて」
 女の子は手で光を遮りながら、必死に訴えかける。
 その様子を見ながらメガネの女性は少し考える素振りを見せると、口を開いた。
「よし、自称幽霊だし、調査しましょうか」
「わかりました。でも、この建物はどうします?」
「そんなの、後でも調査できるわ」
 二人のただならぬ気迫に、自称幽霊の女の子は後ずさりをする。
「ちょっと。何をする気ですか?」
 しかし、女の子の問いに対する、明確な答えは返ってこなかった。
「大丈夫よ。ちょっと色々調べるだけだから」
「痛いことはないから大丈夫ですよ……たぶん」
「たぶんって何ですか! ちょっと、やめて、離して!」
 女の子は必死に抵抗するが、その努力もむなしく二人に取り押さえられる。
「――まず、幽霊には触れることができる……と」
「いや~っ!」
 女の子の可愛らしい悲鳴が、広場に響いていた。
短編 深夜の宴会
 薄ぼんやりとした明かりが、暗闇の中にポッと浮かんでいた。
 その光に当たるように、二人の老人が顔を合わせている。
 周りには書棚が立ち並び、背の違う本たちが、無作為に並べてあった。
 古めかしい背表紙が過ぎてきた年月を思い起こさせる。
 ここは個人経営の小さな古書店。
 人の手を渡り歩く本の待合所のような場所だ。
「この集会もわしら二人になってしまったのう」
 老人はしわだらけの顔を更にくしゃくしゃに歪ませて笑う。
「あぁ、お向かいのばあさんも亡くなってまったしなぁ」
 眼前に揺らぐろうそくの灯を、目を細めて眺めながら老人たちは思い出を語る。
「――最近は、娘がうるさくてな――」
「――医者が酒を控えろと言うんだが――」
「――足腰が弱って――」
「――もうじきお迎えがくるのかのう――」
「――わしゃ、まだまだ現役じゃ――」
 二人の間に話は尽きない。
「ささ、もう一杯」
「スマンなぁ」
 酒瓶を傾け、中味をコップへ注ぐと、老人はもう片方へと差し出す。
 受け取った老人はそれをグイと煽ると、つまみの袋から裂きイカを取り出し、口へ放った。
 くちゃくちゃとアゴを動かして、不揃いの歯で嚙み潰していく。
 老人は赤らんだ顔を見合せながら、談笑を続けた。
 日常の生活の中で開いてしまった心の隙間を埋め合わせるように、二人の話は盛り上がっていく。
「……あぁ、空になってしもうたか」
 酒瓶をひっくり返して、老人はつぶやく。
 二人きりの宴もひと段落というところ。
 酒を飲み交わしていた老人の片方が、おのずと立ち上がった。
「――そろそろ帰るとするかな」
「そうか……じゃあ、次はいつ頃がええか?」
「そんなの、また明日の昼にでも決めりゃあええ」
「それもそうだ」
 二人はふらつきながらも、別れの挨拶を交わし、各々の居るべき場所へ戻っていった。
「――さて、と」
 古書店内の明りは最初に比べ、格段に弱まっていた。
 ろうそくは根元近くまで溶け、風前の灯と化している。
 それに気を留めることもなく、老人は空になった酒瓶とつまみの袋を手に奥にある自室へと戻っていく。
 不意に風が吹いて、ろうそくの灯が消えた。
 店の入口の戸が、わずかに開いていた。
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