IPPI STYLE
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短編 瞑想
 道場の中には静寂と沈黙が満ちていた。
 板張りの床とどっしりとした木の柱。
 そして木製の格子が取り付けられた窓からは涼しげな空気が絶えず流れている。
 普段であれば稽古に勤しむ生徒達の掛け声のひとつでも上がっていそうなものだが、今日に限ってはそうではないらしい。
 道場の中央――ひんやりとした空気の中心に居たのは浅葱色をした袴姿の男性だった。
 髪は肩にかからない程度に伸び、口元には髭を携えている。
 顔に刻まれたしわは数々の修羅場と人生の山を乗り越えてきた貫禄を思わせる。
 男性は背筋をピンと伸ばしたまま膝を折り、そのままの姿勢で瞑想をしていた。
 傍らに置かれた竹刀も、そのピリピリとした雰囲気に当てられてか、転がる気配すら見られない。
 まるで、その場だけが時間という概念から切り離されたかのような無動の世界。
 格子の隙間から差し込む陽射しが形作る縞模様の影。
 それらが少しずつ寝そべり、転がり、そして帰っていく。
 男性はそれでも動くことはない。
 ただひたすらに正座を続けながら目を閉じていた。
 その様子に変化が訪れたのは明と暗が同時に存在する刻だった。
 戸がそろそろと開けられた音に反応して、男性は顔をわずかに上げ、ゆっくりと目を開ける。
「お夕飯の支度が終わりましたよ~」
 道場内に響くのは可愛らしい女性の声だった。
「あぁ、わかった」
 短く返すと、男性はゆっくりと立ちあがる。
 それを確認したところで、女性は小さく頭を下げてそのまま引き下がった。
 長い時間正座をしていたなら、足のしびれも心配されそうではあるが、そんな心配は杞憂らしい。
 男性は窓や他の出入り口の戸締りを、安定した足取りで確認して回る。
 トントントントンと足音が場内に響き、天井付近に生じた暗闇に吸い込まれていった。
「――ふむ」
 小さくうなずくと、男性はようやく踵を返す。
 そして中央に戻ると、忘れ去られたようにそっぽを向いて寝ころんでいた竹刀を手に取り、今度こそ道場を後にする。
 男性の姿が完全に見えなくなった頃――。
 道場では暗闇と静寂がわがもの顔で占領していた。
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短編 晩年
 のどかな日差しの下、猫の額ほどの庭はじわじわと温められ、そこに居る者の眠気を誘う。
 庭へと通じる縁側も例外ではなく、木製の床が明るく照らされている。
 縁側には小柄な二つの人影が並んで置かれており、時折笑い声が上がる。
 片や白髪をした高齢の女性で、腰も大きく曲がっている。
 隣に居る人物も同様に高齢で、こちらは頭頂部から大きく髪が抜け落ちた男性。
 長年付き添ってきた夫婦なのだろう、脇に置かれたお盆には二人分の湯のみが、白い湯気を上げていた。
 湯気は青い空へと上って行き、白い雲と同化して消えていく。
 のんびりと時間が進むにつれ日は高く昇り、より強い日差しが庭先の木々に暗い影を作りだす。
 そんな庭先の変化を眺めながら、女性はお盆の上に置かれた湯のみを男性へと手渡す。
 盆上に残された湯のみへと手を伸ばし、一泊ほど遅れて女性は湯のみを口に含んだ。
 ズズズと音を立てて、薄い緑色の液体が口内に吸い込まれていく。
 火傷寸前の高温が口の中に広がり、それに伴って緑茶のさわやかな香りが口腔より鼻へと抜ける。
 それらを喉奥へと流し込むと体の内側から外気によって冷やされた体が温まっていくのがわかる。
 そして吐息もわずかに白く染まり、心が落ち着いていく。
 特に、これといったことをするでもなく、ただ時間を浪費していく。
 これ以上の贅沢はないのではないかと思えるような、ささやかな幸せ。
 それを噛みしめるように、二人は目を細め移りゆく空気の変わり目を楽しんでいた。
 風が吹き、環境音が流れては消えていく。
 そこに二人の声と、お茶をすする音が上乗せされ、雅な雰囲気が構成される。
 こんな日がどちらかの死が訪れるまで続けばいいと、暗に思いながら――すっかりぬるくなったお茶を飲み干す。
 二人の影は木の床できれいに重なって伸びていた。
 湯のみをお盆の上に戻すと、女性は声を伴ってゆっくりと立ち上がる。
 そしてお盆を手に、家の中へと姿を消していった。
 残された男性は、その背中にちらりと目をやるが、すぐに庭へと視線を戻し、更にそれを上向ける。
 温かな日差しは白い雲にさえぎられ、ぼやけていた。
 十年後、いや五年後、もしかしたらもっと短いかもしれない。
 どちらかが先立つ日まで、こんな日常が続くことを願って……。
短編 夢から覚めて
 部屋の一角を占領している背の高い本棚。
 その中には、大小様々な雑誌や単行本が収納されていた。
 その中の一冊を手に取ると、彼女のことが思い出された。
 特別な事案が書かれているわけでもない、ごく普通のマンガの単行本だ。
 にもかかわらず、そんな感慨を覚えてしまうのは、事の直前に彼女とそのマンガを見ていたのが原因なのだろう。
 彼女との思い出は、今でも鮮明に覚えている。
 一緒に暗い廊下を駆けたこと、得体のしれない何物かから逃げ続けたこと、そして二人とも無事であったということ。
 あれはいったい何だったのか、今考えてみてもわからない。
 超常的な何かだったのは確かなのだが、それ以外のことはぼんやりとしか覚えていない。
 でも、それらが自分たちにとって大切で貴重な経験だったことは永劫不変だ。
 彼女と近付いた距離、交わした言葉、そして肌の感触……。
 そこまで思い出した所で、ふと意識を現在へと戻す。
 すぐ隣に彼女が居た。
 彼女は笑いかけるとその身を寄せてくる。
 一瞬にして、至福の感覚に全身が包まれる。
 だが――それも一気に霧散していく。
 まるで記憶が徐々に浸食されていくような――。
 不思議な恐怖感と焦燥感にさいなまれながら、彼女を振り向く。
 そこには頭の上に疑問符を乗っけたような、不思議そうな顔をした彼女の姿。
 ――彼女のことを忘れていくのか?
 なんとなくではあるが、それが事実なのだとわかった。
 彼女の存在を自分の中に留めておきたくて、その小さな体を思い切り抱きしめる。
 途端、急に彼女の表情が柔らかくなり、慈愛に満ちた顔が浮かぶ。
 まるで、ようやくその時が来たのだと言わんばかりに……。
 名前が出てこない。
 思い出が記憶から消えていく。
 好きなのに、好きなのに、好きなのに……。
 彼女を忘れたくないのに――。
 そんな思いを弄ぶかのように、急激に意識が遠ざかっていくのがわかった。
 最後には、彼女の顔までもわからなくなっていた。
 日が高く昇った次の日の朝。
 目覚めと共に感じたのは、この上ない虚無感だった。
短編 格の違い
「うぐっ……」
 そう声を漏らしながら、男は片膝を着いた。
 彼の名前は睦月。
 名の知れた路上格闘家である。
 睦月の若干低くなった視線より見上げた先には、冷徹な表情で見下してくる男性の姿。
 年齢は睦月よりも大分上のようだが、その顔つきは鋭く数々の修羅場をくぐりぬけてきたことが容易にうかがえた。
「自分から仕掛けてきておいて、その程度か?」
 男性はポケットに手をしまい込んだまま、落胆した様子で溜息を吐く。
「――くっ」
 睦月は反論しようとするが、結局は何を言っても無駄になるとわかり、ぐっと唇を噛みしめるに留めた。
 傷ついた体が回復するまでは、まだ時間がかかる。
 圧倒的な実力差を見せつけられた今、この不利な状況を挽回できるだけの策も案もなかった。
 それをわかっているのか、男性は睦月へ問いかける。
「――それで、お前はこれからどうする?」
 口元をニッとつり上げた表情は、決して慢心などではなく、王者としての風格のようなものさえ感じられる。
 睦月は視線をそらすようにして、周囲に何か使えるものはないかと必死に注意を振りまく。
 しかし、足元には薄い砂の層を被った、乾いた大地が寝そべっているばかりで、武器になりそうな小石さえなかった。
 だが、少しでも可能性があるのなら希望を捨ててはいけない。
 それが睦月を路上格闘家の道へと誘った人物の言葉だった。
 尊敬する師の言葉を思い出し、睦月は砂を掻き集めようと大地の上に手を這わせる。
 ――しかし、それは脆くも男性によって阻まれた。
「ぐ……がっ……」
 睦月の苦痛にゆがんだ声が上がる。
 それは黒い革靴で思い切り踏みつけられた手の甲が原因だった。
「無駄な足掻きはよした方が身のためだぞ?」
 そう言って男性は睦月の手の上で、踏みにじる。
 手がちぎれそうな痛みに、睦月は反射的に反対の手で足を掴もうとするが、それもかなわなかった。
「ぶふっ――」
 手の上に乗せられた足に体重がかかる。
 それと同時に側頭部に衝撃が走った。
 不意の一撃に睦月の身体はあっけなく倒れる。
 だが、片手は男性の足によってその場に繋ぎ止められている為、腕が捻れるようにして体は倒れる。
「うがががががっ!」
 体が上げた悲鳴が睦月の口を通じて外へと溢れだす。
 激痛から逃れるように必死に体勢を戻した睦月の顔には、うっすらと涙が浮かんでいた。
 だが、そんな姿を眺めている男性の顔は険しいままだ。
「――さて、これからどうする?」
 男性の言葉が冷たく心に突き刺さる。
 この状況での打開策はあるのだろうか。
 睦月の頭はすでに冷静さを欠いており、この状況から逃げ出したい、楽になりたいという気持ちばかりが渦巻いていた。
短編 フリーキック
 短くホイッスルが切られ、止まっていた試合が再開される。
 ボールが置かれているのは青々とした芝の上。
 丁寧に均されたピッチの上では白いユニフォームを身に着けた選手と赤いユニフォームを身に着けた選手が互いの位置を確認しながら、常時動きまわっていた。
 蹴りあげられた足の先に、ボールが鋭い軌道を描いて飛んでいく。
 最高地点まで達したボールは下降を始め、落下点にて待っていた選手の元へ吸い込まれるように向かっていく。
 しかし、そうも簡単に事は進まない。
 相手選手がボールを奪い取ろうと、選手の前へと体を入れ、前へ出る。
 そこへ、更に自分の場所を奪い返すかのように素早く前へと選手は躍り出た。
 そこで地表まで降りてくるボールを胸でトラップして落ち着ける。
 それも一瞬のことで、それからの動きは俊敏だった。
 マークに着こうとした相手選手を背後にして、一気に置き去る。
 ドリブルを続ける彼を止めに入ろうと、相手のディフェンスが進路を塞ぐように位置取った。
 それすら見透かしているとでも言うように、選手はディフェンスの手前で足を巧みに動かし、惑わす。
 右か、左か、その一瞬の隙をついて、選手は強引に抜き去る。
 しかし、相手の反応速度も速く、すぐ横について並走してくる。
 そして前にはもう一人のディフェンスが立ち塞がっていた。
 前も横も、そして後ろも取り囲まれた状況。
 ボールの逃げ道は、サイドライン際の微々たる空きスペースしか残されていなかった。
 だが、選手はためらうことなく、その小さなスペースへボールを蹴り転がす。
 相手もそこへパスを出すとは思っていなかったのだろう、マークについてた全員が足を止め、動きが鈍る。
 そこへ飛び込んできたのは後方より駆けあがってくる、仲間の選手だった。
 蹴りだされたボールを華麗に足先で受け取ると、そのまま勢いに任せて追い抜いていく。
 一度足を休めた相手選手たちが、彼に追い付くにはタイミングが遅すぎた。
 相手の陣地に残された選手はゴールキーパーを含めて三人。
 これ以上時間をかけては、更に増援が増えて攻め入るのは困難になるだろうという頃合い。
 選手は好機を逃すまいと、エンドラインぎりぎりの位置まで走ってからゴール前へとセンタリングを上げる。
 そこに居るのは相手ディフェンダー二人と前へ出てきたゴールキーパー。
 そして、後方から駆けあがってきた別の選手。
 四者が一斉に飛び上がり、ゴール前で錯綜する。
 互いの体がぶつかり、バランスを崩した者がフィールド上に叩きつけられた。
 結果、ボールは零れ落ちる。
 その後、ぽんぽんと軽くバウンドして向かう先は大きく口を開いたゴールマウスの中。
 いち早く気づいたキーパーが慌てて四つん這いになりつつ後を追うが――。
 それを無駄だと言わんばかりに盛大にホイッスルが吹かれた。
 落胆するキーパーや相手選手を尻目に、得点したチームの選手がボールを手に芝の上を駆けていた。
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