IPPI STYLE
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短編 仕事帰り
 白いドアを開けて部屋へ入ると、懐かしい匂いが鼻腔から頭へと抜けていくのを感じた。
 ドアを閉め、玄関で靴を脱ぐと、丁寧に並べられたスリッパに足を通す。
 そのまま前に進もうとしたが、一歩足を踏み出した所で大事なことを思い出し、振り返る。
 その場に屈み、脱いだ靴をキレイにそろえると小さくうなずく。
 立ち上がり、今度こそ奥の部屋へと歩いていく。
 リビングへ近付くにつれて、テレビのものと思われる物音が徐々に音量が上がっていくのがわかる。
 敷居を跨ぎ、リビングへ入ると手近なソファに腰を収めていた彼女がこちらに顔を向けた。
 急いで立ち上がろうとする彼女を制し、自分で荷物を手に部屋へと向かう。
 自室に入ってまずすることは照明をつけること。
 次いで、机の脇に荷物の入った鞄を置き、上着をハンガーへとかける。
 シャツのボタンを緩めつつ、クローゼットの引き出しから部屋着を探す。
 手ごろな部屋着を手に取り、身に着けていく。
 脱いだ衣服を手に再びドアを開き、今度は浴室へと向かう。
 通り抜けようとしたリビングではテレビが独り言を続けていたが、彼女の姿は確認できなかった。
 しかし、それを気に留めるでもなくソファの脇を通り過ぎて、浴室へと向かう。
 開けっ放しになっている洗濯機の中へと衣服を投げ込むと、棚の上に置かれていた洗剤を手に取り、円を描くようにして上から振り掛ける。
 そして蓋を閉め、スイッチを押すと水音を流しながら洗濯機は自らの仕事を開始した。
 最低限のことは終わらせたので、幾分気を抜いてリビングへと足を運ぶ。
 そこに居たのは一度身を隠していた彼女の姿。
 よく見ると、中央のテーブルの上にはさっきまではなかったカップが湯気を立てて置かれていた。
 彼女が気を利かせて注いで来てくれたのだとわかり、思わず顔に笑みが漏れる。
 ソファに座っていた彼女は、そっと体を脇に寄せてスペースを作る。
 隣に座れとの合図なのだろう。
 半ば強制的に座らされることになったが、隣から見る彼女の表情はとても美しかった。
 仕事終わりに訪れた、ゆったりとしたプライベートの癒しの時間。
 窓の外では宵闇が更けていくのだった。
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短編 熱中症にご注意を
 肌に感じるのは温かく湿っぽい空気。
 湿度が高いのだろう、歩いてわずか数分しか経っていないのに、全身から汗が噴き出し、体温がいつもよりも高くなっているのがわかる。
 気のせいだと思っていたが、呼吸も次第に荒くなり、息苦しさを覚えてくる。
 さすがに、このままではまずいと思い、足を止めるが一度高まった体温は、熱が引くまで大分時間がかかりそうだった。
 左右を見回し、手ごろな建物を探す。
 できれば冷房の利いた場所が理想なのだがと思うが、そう都合よく見つかるわけもない。
 とりあえず、体を休められる所をと足を動かす。
 しかし、そうして歩いている間にも体力は絶えず削られ失われていく。
 空気の質だけで、こうも体調が変わるものなのかと、憤りすら覚える。
 だが、それをぶつける相手もいないので、内側へと溜めこむ他ない。
 もっとも、そのせいで頭に血が上り、余計に思考がぼやけてくるわけではあるが。
 そうこうしているうちに、ようやく見えてきたのは郊外型の大型デパート。
 多少距離こそあるが、その労力以上に休みたいという気持ちの方が強かった。
 重い足を引っ張るようにしてデパートへと向かう。
 まるで砂漠のど真ん中にでも投げ出されたかのようなそんな気分だった。
 実際の砂漠では、空気が乾いているだろうから、熱さこそ激しいものの、ここまで息苦しくはないだろう。
 砂漠が焼けつく暑さなら、この場はサウナのような蒸し暑さといったところだろうか。
 やっとの思いでデパートにたどり着き、ガラスの自動ドアをくぐる。
 冷房の冷たい風が体温を下げようと降り注いでくるが、火照った体はそう簡単には冷え切らない。
 とりあえず、手近な場所にある休憩スペースに腰を下ろして、買い物に来ている客たちの流れをぼおっと眺め始める。
 呼吸も落ち着いてきて、体内に溜まった疲労も少しずつではあるがほぐれてくるのがわかる。
 瞬間、急激に体温が冷やされていったせいか、視界に白いもやがかかる。
 しかし、なんとか意識を繋ぎ止めて難を逃れる。
 こんなところで倒れては、元も子もない。
 今は、とりあえず飲み物だ。
 体表は幾分マシになったものの、体内はその限りではない。
 なんとかして体を内側から冷やしたかった。
 そう決めるが早いか、下ろした腰を持ち上げて近くの自動販売機へと向かう。
 余計な出費は防ぎたかったが、こればかりは仕方ない。
 コイン投入口に添えた百円玉が、わずかに震えた。
短編 居残り練習
 ホールに設置されたステージの上に、弦楽器特有の滑らかな音律が流れる。
 観客席に人の姿はなく、その場にいるのは楽器の演奏者、ただ一人。
 断続的に響くメロディを生み出すのは、首元に添えられたヴァイオリン。
 繊細な指使いで音階を調節しながら、譜面の上をなぞるようにひたすらに練習を繰り返す。
 採光用の窓から差し込む西日が、客席を茜色に染め上げ、夜の訪れを告げていく。
 瞬間、太陽が雲で隠れたのだろうか、一気に暗さを増す。
 ステージ上こそ照明により明るさは保っていたが、観客席の変化は顕著だった。
 不意にヴァイオリンの音色が途切れ、静寂がホール内に満ちて行く。
 それを打ち破ったのは、他でもない演奏者自身。
 抱えていた自らの相棒を首元から下ろすと、深く息を吐いて足元に置いてあったケースへと納める。
 楽器の片付けを粗方終えると、今度は譜面台へと向かう。
 ちょこんと乗っかった楽譜を手に取ると、ケースの上へと放り、譜面台の支柱を握る。
 そのまま持ち上げると、用具置き場へと向かって運び始めた。
 板張りのステージ上に足音が上がり、ホールという空間によって何倍にも反響させられる。
 それが逆に侘しさや、孤独感を増長させ、不安を煽っていく。
 周囲に漂う不安感から逃れようと、足取りも自然と速くなり、戻ってくるなりケースを手に取る。
 妙な焦燥感に追いかけられながらステージを降りると、照明のスイッチを切った。
 プツンと蛍光灯が消灯し、ホール内の明度が一気に落ちる。
 ヴァイオリンのケースを手に持ちながら、薄暗い空気を掻き分けるようにして、出口へと向かう。
 緑色に光る非常口の標識が異質な存在感を放つと同時に、明るさという安心感をも放っていた。
 扉の前までくると、隙間から差し込む通路の照明が細いラインが目につく。
 そこでジャケットのポケットの中に意識を向ける。
 ホールの鍵は、確かにここにある――しっかりと確認をした後、扉を押し開いて、ヴァイオリンの演奏者は外へと脱出していった。
 ガチャンと扉が閉じられる音と共にホール内は完全なる無音に支配される。
 そこにはもう、夜によって半分以上が侵食されていた。
短編 星空の下の再会
 濃紺の空には点々と星の瞬きが星座を描いている。
 周囲には夏虫の鳴き声が上がり、夜空へと吸い込まれていく。
 雨上がり特有の匂いが地表から漂い、ざわついた心を落ち着かせてくれようとするが、気晴らしには少しばかり力不足だ。
 無意識のうちに吐き出されるのは深い溜息。
 今頃あの人は何をしているのだろう。
 次に会えるのはいつになるのだろう。
 そんな思いが胸を締め付けて、心苦しくなる。
 何気なしに空を見上げる。
 下を向いていると、ネガティブな考えしか浮かばなくなりそうだったから。
 雨雲もどこかへ消え去り、うるんだ瞳に星たちの輝きが反射する。
 肌寒さを覚えないことに、夏という季節を実感させられる。
 しかしながら、あの人の居ない毎日はどこか寂しくて、心が寒かった。
 今日何度目になるかわからない溜息が口から漏れる。
 帰ってくるならあの方角かなと、憶測で夜の向こう側を見つめ続ける。
 気休め以外の何物でもない行為。
 それでも、何もせずにはいられなかった。
 変わり映えのない風景に、次第に思考がぼんやりとしてくる。
 どれほどの時間、そうしていただろう。
 夜色のグラデーションが描かれた空に一筋の光が走った。
 それが流れ星だと認識するよりも早く、胸の前で手が組まれ、目が閉ざされる。
 心の中で三度、あの人の帰りを祈る。
 迷信だとはわかっていても、何かにすがりたかった。
 ゆっくりとまぶたを持ち上げると、そこで自分の手に力が入っていたことに気付く。
 組んだ手を解き、深呼吸をする。
 そして改めて見渡した世界は、数秒前と変わらぬ寂しいものだった。
 自分の行動を客観的に顧みて、その必死さに思わず苦笑が漏れる。
 夜ももう遅い。
 そろそろ帰ろうとした矢先、夜風に乗ってきたのは自然のそれとは違う、ある人の香りだった。
 それは、まるで体に電流でも流れたかのような衝撃。
 反射的に体はその方を振り向き、目は見開かれる。
 きらめく星空の歓迎を受けて、姿を現したのは、紛れもない――あの人だった。
短編 気まぐれという名の気遣い
 降り続いていた雨も上がり、軒先から垂れる雨の雫が水たまりの中へと飛び込んでいく音が響く。
 互いに無言のまま、ただただ時間ばかりが過ぎ去っていく。
 何か話さなくてはと思っていても、気まずい空気がそれを許してくれない。
 かといって何もしなくては、このまま終わってしまう。
 それだけは何としても避けたかった。
 自身の胸の内で、気合いを入れ直す。
 そして意を決して彼女の方を向いた。
 彼女の方もこちらの気配の変化に気付いたらしく、互いに向き合う形になる。
 瞬間、目と目がふと通じ合う。
 見慣れたはずの彼女の瞳。
 それなのに、今回に限ってはひどく心が落ち着かなくて、さっきまでの心意気はもろくも崩れ落ちてしまっていた。
 頭の中が真っ白になって、何を話せばいいかもわからない。
 伝えなきゃいけないことは山ほどあったはずなのに。
 まるで体を別の何物かに乗っ取られてしまったかのように、口が動かない。
 もどかしさと、焦燥感ばかりが体の内に降り積もって言って、溢れ出てしまいそうなほどだ。
 いや、いっそのこと溢れ出てしまった方がどれだけ楽だろう。
 悔しさで目の前がにじむ。
 だけど、それを拭い去ってくれたのは彼女だった。
 突然のことに驚き、目が見開かれる。
 そこに立っていたのはいつもの優しい彼女の微笑みだった。
 彼女は表情を崩すことなく、その白く弱々しい手をすっと伸ばしてこの体を抱き留めようとしてくれる。
 言葉など要らない、すべてわかっているから。
 そんな彼女の気持ちが肌を通じて嫌というほどに強く流れ込んでくる。
 気付けばこちらも彼女の背中を強く抱いていた。
 不思議と心が落ち着いて、優しい気持ちになる。
 そこで、ようやく気付いたのだ。
 今の気持ちを言葉で表すには、時間がいくらあっても足りないのだと。
 だからこそ、言葉以外の方法でそれを伝えるしかないのだ。
 彼女のそれを教えられるのは、少し恥ずかしかったけれど、そんなことは今となっては些細な問題だった。
 実際に、こうして二人は無事繋がることができているのだから。
 あれほど急いていた時間の流れも、今では時が止まっているのではと思えるほど、長く思える。
 至福とは、このことをいうのだろう。
 それを知ることが出来たのが、最期というのも皮肉な話ではあるのだけど。
「――さぁ、時間だよ」
 不意にかけられた第三者からの声。
 夢の時間は、終わりを告げた。
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