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短編 珍客と謎の置き物
 それはいつものように中古リサイクルショップでアルバイトをしている時のことだった。
 普段から人などあまり来ない、小さな店だったこともあって、店長も割と留守にしていることも多く、時間を持て余すこともしばしばだった。
 まぁ、忙しいよりはこうしてのんびりと店番をする方が楽でいいのだが。
 たとえ人が来たとしても、ろくなものは置いていないので、ひとしきり見て回ってそのまま帰っていく場合がほとんど。
 念のためと用意している警報装置も、今まで鳴った試しもない。
 そんなある日、一人の女性が店にやってきた。
 それほど肌寒いというわけではないが、その女性はロングコート姿に黒髪を腰の辺りまで伸ばしていた。
 そんなに人間観察は好きな方ではない。
 ただ、女性が寄るような店ではないので、印象に残っていただけだ。
 ひとしきり店内を見て回ると、女性はそのまま店の外へ向かって歩き始めた。
 目当ての品はなかったのだろう。
 特段、気にすることもなくその様子を眺めていると、とある場所で女性が足を止めた。
 玄関前の棚だったが、特別何かおいているわけでもない。
 あるのは他の棚と同じような、変な置物だけだ。
 しかし、女性は腕を伸ばし、その中の一つを手に取る。
 そして、そのままレジへと持ってきた。
 珍しいこともあるものだと、半ば忘れかけていた会計の準備を行う。
 ――ところが。
「んっ?」
 目の前に置かれた置き物には、まるで見覚えがなかった。
 それどころか、値段が書かれたシールすら貼られていない。
 一通り確認し、置き物の底まで確認したが、どこにもない。
「ちょっと待ってくださいね」
 そう言って、店長へと電話をかけて聞いてみる。
 しかし、生憎そういう置き物なんてないとのことだった。
 結局、出所不明の置き物ということもあり、一応二千円くらいの値を付けて売っておいてくれとのことだったので、その通りにしておいた。
 今でもそれが一体何だったのかはわかっていない。
 きっと店長が買い付けて、忘れていただけなのだろうが、しばらくの間、自分の胸の中にモヤモヤとして残っていた。
 それっきり、その女性は店に来ていない。
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短編 休息という仕事
 目を開くと、力強い白色光が視界いっぱいに飛び込んでくる。
 光を浴びた体の部位が、どことなく温かい。
 遠赤外線の効果だろうか。
 ただ、遠赤外線とは耳にしたことはあるのだが、それが一体何なのかは、自分の頭ではまるで理解できていない。
 なんとなく、温かくなるものだという認識しかなかった。
 ウトウトとしていた身体が、その強い光によって次第に意識がハッキリとしてくる。
 記憶が曖昧な事に一瞬戸惑いながらも、すぐに思い出す。
 寝起きにしては、朝方に比べて大分目覚めがよい。
 首筋に感じるチクチクとした草の感触。
 幾分柔らかな土の絨毯。
 後でまたシャワーを浴びなくてはなどという杞憂を感じることもない。
 ただただ、今という時間を楽しむべく、そこにあり続ける。
 時間に追われ、人に追われる都会とはまるで別世界のような、そんな空間。
 時計の針すらも、ゆっくりと動いているような、世界の緩やかな流れ。
 じっとしていたなら、またいつの間にか深い眠りに就いてしまいそうだ。
 だが、こうも強く太陽が照らしてくれているのなら、あと数時間は大丈夫だろう。
 もっとも、その数時間が都会の数時間なのか、この世界の数時間なのかはわからないが。
 どちらにしろ、自分のすべきことは変わらない。
 ――何もしない。
 それが、今の自分がすべき、最大の贅沢であり、最高の使命だ。
 よく似たフレーズに、スポーツ選手にとって、休息も仕事だというものが挙げられる。
 どんなに焦っていても、どんなに切羽詰った状況であっても、無理をして体を酷使していては職務を全うすることができずに終わってしまう。
 だからこそ、どんなにつらくても休む。
 一種の充電のようなものと思っていい。
 頭の中をからっぽにして、また頑張れるようにリフレッシュを図る。
 時間は、まだまだたくさんあるのだから。
短編 落下物には要注意
 帽子を深めにかぶって街を歩く。
 道行く人の視線が気になってしまうのは、おおよそ自意識過剰なせいなのだろう。
 しかし、だからといって気にするなという方が無理な話だ。
 かといって特段、自分が命を狙われているだとか、誰かに着けられているだとか、そういうわけではない。
 ただ、切りすぎた前髪が気になって、それを隠そうとしているだけだ。
 そんなこと、他人はそんなに気にしないだとか、そう思っているのは自分だけだとか言われるのは百も承知だ。
 ただ、自分が勝手に嫌だと思ってこうしているだけのこと。
 他人の考えだとか意見はどうでもいい。
 それこそ、全体の数パーセントにも満たないごく一部の連中に遭遇して、場もわきまえず笑われることに比べれば断然こっちだ。
 それ故に、服装も普段より流行に乗った色合いのものを取り入れてなるべく風景に溶け込もうとする。
 別に変な事ではない。
 むしろ、集団で行動する人間として当然の行為とも言えるだろう。
 極論を言えば、そんなに嫌なら外に出なければいいだとか、そんなレベルになるわけだが、それはそれで気分が滅入る一方なので、やむなく断念した。
 帽子をかぶっているとはいえ、視界は比較的良好だ。
 深くかぶっているせいで、上半分は見づらくなっているが、足元やら前方が見えないという事もない。
 唯一心配すべきことと言えば、上空から何かが落ちてきたりした時に対応しづらいということくらいだ。
 だが、そう頻繁に何かが落ちてくることもないだろう。
 そんなことを思った瞬間。
 何かが肩に落ちてきた。
 水っぽいその感触に、嫌な予感を覚える。
 ゆっくり首を回し、そしてすぐに元に戻した。
 視界の端に見えた、白い何か。
 ……もう、すべて見るまでもなく何が落ちてきたのかは明らかだった。
 特別騒ぎ立てるだけの気力もなかった。
 周囲の視線が集まる。
 だが、そんなことはもうどうでもよかった。
 ただ、足早にその場を離れたい。
 その気持ちで、ただただいっぱいだった。
短編 焼きたて
 古来からの伝統と趣が感じられる、街並みの中を歩く。
 その大半は土産物屋か食べ物屋なわけだが、それは致し方のないことなのだろう。
 住宅地と呼ぶにはこの地はいささか人の通りが多すぎる。
 というのは、ここが観光地としての集客に力を入れているが故のことだからだ。
 その証拠に街道はアスファルトによる舗装などではなく、広さの割に石畳という手の込んだものだ。
 ここを車道と呼ぶにはかなり無理があるだろう。
 車止めらしきものは見当たらなかったが、人が激しく往来しているので、歩行者天国のような状態になっている。
 さすがに、某都会のスクランブル交差点ほどの人混みではないので、幾分気は楽であるが。
 改めて道行く人々の姿を見てみるが、やはりその多くが観光客。
 それも結構な年配が多い。
 それは普段持ち歩くようなものとは明らかに違う荷物と、視線の動きから明らかだ。
 年配の客層が集まるというのは、やはり若者には刺激が少ない街だからというのも理由があるのだろう。
 どちらかというと、もっと華やかできらびやかな場所の方が自分も好みだ。
 プライベートでは向こう10年はこないであろうこの土地にこうして訪れているのは、予想に難くなく仕事だからだ。
 全国を駆け回る仕事をしている身として、この地を訪れていなかったのは自身でも意外だった。
 まぁ、いざ来てみたら来てみたで、想像と違う面白さがあったり、新しい発見があったりで、中々飽きが来ない。
 百聞は一見に如かずということわざがあるが、まさにその通りだろう。
 自分で計画を立てて、その場所だけを律儀に回っていたのであれば気づかない発見も結構多い。
 それは、隠れ家的な紅葉のスポットであったり、温泉だったり。
 自分の趣味嗜好に恐ろしいほどぴったりと合致する場所というのは、どんな地域にも一つや二つはあるもの。
 さすがに繁華街という条件が付けばそれは厳しくなるが、ここでいうのは、何かいいなと思える場所のことだ。
 試しに店の一つにでも寄ってみようか。
 そんな気持ちから手近な店に近づいてみる。
 漂ってくるのは醤油の香ばしい匂い。
 店先でせんべいに醤油を塗りながら、じっくりと炙っていく様子は目と鼻、そして耳までも引き寄せられる。
 こういうのは焼きたてを食べるに限る。
 財布の場所を確認しながら店主に一つ注文をする。
 果たしてどんな味がするのだろうか。
 せんべいということで、粗方味の方が想像がつくが、そこからどこまで予想を裏切ってくれるかも、楽しみの一つだ。
 お金を支払い、まだ温かいせんべいを受け取る。
 顔に近づけると、食欲をそそる香りが鼻に抜けて、胃袋が催促をしてくる。
 店先で食べるのはさすがにためらわれて、その場を離れながら、一口目をいただく。
 予想通りの味わいという安心感。
 そして、そこから更に伝わってくる深い味わい。
 予想通りでありながら、そこを超えてくる美味しさ。
 口の中で咀嚼をしながら、観光気分を味わう。
 これから仕事だという事も、うっかり忘れそうだ。
 まぁ、忘れたら忘れたで、電話で呼び出されるってだけなのだが。
 そんなくだらないことを考えながら、二口目をほおばる。
 焼きたてのせんべいは、カリッという音も耳に美味しかった。
短編 取り残された獄園
 長く続いていた練習メニューも粗方終わり、待ちに待った休憩時間がやってきた。
 先輩の休憩の掛け声を合図に、場の空気が急速に弛緩していく。
 ずっと我慢していた水分をようやく摂取することができる。
 へとへとになった後輩たちが水飲み場へ向かっていく様子は、数十年前とほとんど変わっていない。
 いや、数十年前といっても自分はその当時生まれていないから、本当にそうだったかはわからないが。
 それでも色眼鏡なしにうちの学校は異質だと思う。
 通常、水分補給の制限は命に係わる問題であり、根性でなんとかなる問題ではないことは科学的に証明されている。
 どんな証明かはわからないが、少なくとも根性さえあれば乗り越えらるなんて事はないと、どんなに勉強ができない人間であっても理解できるだろう。
 古くからの伝統といえば、なんでも許されるらしいが、やはり今という時代を生きる自分たちからすれば悪習としか言いようがない。
 先輩の言う事を聞かなければ殴られる。
 たとえそれがどんなに理不尽なことであっても、それは後輩が悪いことになる。
 自由民主主義国家のかけらもない、前時代的……もとい、後進的な思想が根付いているのだ。
 それはもう、若者が減っていくのも当然だろう。
 何かのはずみで外から人が来ても、この地域の異質性に溶け込むことができず、数か月も経たないうちに別の地域へ越してしまう。
 そのくせに、地域活性化だとか若者を呼び込むだとかいっているのだから、意味が分からない。
 メディアの報道も、ある程度開けた土地でなら騒ぎ立てることもあるのだろうが、ここまで僻地の話になると寄ってこないもの。
 結局我慢するしかない。
 別に、自由参加なら本当にやりたい人が部活に入ればいい。
 それが強制参加だから、色々トラブルが出てくるのだ。
 やりたくもない部活に無理やり所属させられて、散々にこき使われる。
 それでいて問題が起きても、責任は全部自分。
 そりゃあ引きこもりや登校拒否も増えるというものだ。
 正直、彼らを褒め称えたい。
 なぜなら彼らの親は、世間体を気にして無理やり外に出そうとするのだ。
 そこに反発する気力は想像すらできないだろう。
 自分たちから見れば、それは英断であり、勇気ある行動だった。
 完全に毒された人から見れば、それは逃げてるだとか軟弱だとかになるのだろうが。
 自分の命は自分で守るほかない。
 拒否したら人格を徹底的に否定され、人間の尊厳を無視した言動で馬頭される。
 そう、誰も守ってはくれないのだ。
 だからこそ、人はこの地を去っていく。
 そして、それが現代のこの国のどこかで行われているというのを、どれだけの人が信じられるだろうか。
 少なくとも、この町のトップは理解してないということだけは明らかだろう。
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