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短編 空への逃避
 地獄からどうにかして脱したいと願う人の物語として、極楽から垂らした蜘蛛の糸を上っていくというものが、昔の文豪の作品にあったのをぼんやりと思い出す。
 今、この広い空から蜘蛛の糸が垂れてきたなら、それを上っていくことができるだろうか。
 一見きれいで、明るく活気に満ちている世界。
 でも私の目にはそれは灰色のフィルタを通してしか映らなかった。
 もし、この目が見えなかったら。
 もし、この耳が聞こえなかったら。
 もし、存在していなかったら。
 有り余るほどのシガラミを感じずに済んでいたかもしれないのだと思うと、胸が苦しくなる。
 人間、楽になりたいと思うのは至極当然のことだ。
 いや、人間に限らず、ありとあらゆる生物が苦を拒むように行動し、生きている。
 人間の場合、その自然の摂理に反するように苦難を享受して、それを見てみぬふりをして生きている。
 苦難を乗り越えれば、得られるものがあるのだと自分に言い聞かせて。
 都合のいい言葉で自分を励ましながら。
 そもそも、そこから逃げていけない理由など存在しないのに。
 逃げようとすると、自分では逃げられない弱い人間たちの憎悪が一斉に飛んでくる。
 免罪符を買った人間のように、自分だけは大丈夫という安心感があるのだろうか、それとも安全なところから石を投げて対象を虐める感覚なのだろうか。
 そこには嫉妬や羨望の念を感じる。
 自分には出来ないから――。
 でも、それを認めたくはないから――。
 だから、相手を責めて自分を正当化したがる。
 悪を創れば自分は善になる。
 相対的な善悪。
 片方が欠ければ、もう片方は存在できない――そんな対になった思想論。
 それを是として信じ、疑わない人間たち。
 皆の心に善があるのなら、外は悪で満ち溢れているに違いない。
 網膜を通して見える世界は美しく、こうも大らかで安らぎを覚えるのに――。
 脳を通して見る世界は、私欲と正義感で溢れる、排他的なモノクロ――張り子の世界だ。
 もし、蜘蛛の糸でこの世界から脱せられるのなら、一体どれだけの距離を上ればいいのだろう。
 この重い体を脱ぎ捨てれば、少しは早く上れるだろうか。
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短編 スタート地点
 背後から聞こえた轟音に、反射的に振り返った。
 しかしながら、時すでに遅くそこにあったはずの扉は、ただの鉄板の壁へと姿を変えていた。
 完全に退路を断たれ、もう先へと進む他道はないという事なのだろう。
 だが、それでも戻って本当に封鎖されているのか確認してしまうのは、そこにわずかであるが希望を夢見ているからだろう。
 継ぎ目のない、大きな鉄板。
 それを叩いたり、押したり、蹴飛ばしてみたりしてみる。
 壊してもいいという覚悟で、力の限りそれらを行ってみるが、出口をふさぐ鉄板は衝撃を受けても震えながら甲高い音を響かせるばかりだった。
 人間の力ではさすがに金属を貫通させるのは無理があるということだろう。
 何度も何度も蹴飛ばしてみるが、若干へこみはするがそれだけだった。
 銃器や巨大なハンマーや斧があったなら、もしかしたら開けることができるかもしれない――そんな絶妙な薄さが余計に悔しかった。
 生憎、そんな武器は持ってきてはいないし、室内にも用意はされていない。
 そういう事であるなら、相手方の指示を無視してでも多少の武装をしてくるべきだった。
 ――いや、相手の指示を守っているからこそ、この程度で済んでいるのかもしれない。
 ここは相手のフィールド。
 そこに飛び込んでいるのだから、圧倒的に不利だというのはわかりきっている。
 にもかかわらず、こうして回りくどい手法を使ってくるというのは、相手がゲーム感覚で自分たちを迎え入れているという事に違いない。
 実際は違う可能性もあるかもしれないし、うちの上司はそんな思考には至らず、自分たちの想像の範疇を超えた異常者として対応しようとするだろう。
 それを確認するのは、もしここから生きて帰れたらになるだろうが……。
 何もない部屋。
 窓は小さく、鉄格子がはめられていて、たとえ格子を抜き取ることができたとしても頭すら通らない。
 部屋自体も石を敷き詰めて構成されていて、昔からある建物を改造していることが想像される。
 移動できる場所は、奥に続く扉一つ。
 ここにいても、何も変わらない。
 応援が来るかもわからないし、進むしかないのだ。
 頼りの綱は、自分の頭脳と体力。
 一呼吸おいて精神を集中させると、自分は奥へと進んでいった。
短編 春の陽気に誘われて
 まず最初に感じたのは、目が覚めるほどの強い花の香りだった。
 強い日差しを全身で浴びる生垣の花々は、その花弁を大きく広げ、自らをより輝かせて見せようとしているかのようだ。
 絵に描いたような花園に、人知れず心惹かれていた。
 自分以外に人の姿はない。
 というのも、ここは恐らく私たち学生の宿舎からも、校舎からも離れた位置にあるからだろう。
 私自身、風に飛ばされたプリントを追って迷い込まなければ、ここへたどり着くことはできなかっただろう。
 しかしながら、いつまでもここに居たら自分自身もこの風景の一部に溶け込んでしまったような、そんな気分になる。
 一歩場所を動くことさえも、不思議な罪悪感を覚えてしまうのは、やはり自分自身の気持ちの弱さ故なのだろうか。
 もしくはこの光景をいつまでも保持したいという気持ちの表れなのかもしれない。
 ただ、いつまでもこうして佇んでいるわけにもいかない。
 というか、ここからどうすれば宿舎へ帰れるのか、それを第一に考えなければならない。
 この花園は突き抜けることができるのかできないのか、そもそも自分はどちらの方角へ向かっていったのか。
 アプリでGPSを使ってみるのも考えたが、生憎宿舎の方角には美しい花の生け垣が並んでいて、到底通過できるとは思えない。
 秘密の花園に迷い込んだといえば聞こえはいいけど、実際焦りと不安で気が気ではなかった。
 これなら道に迷ったことに気づかず、目の前の花々に心を奪われていた方がマシだったかもしれない。
 花は好きだが、その種類がわかるほど詳しいわけではない。
 その程度の自分にとっては、第一印象こそ華やかであったが、時間の経過とともに興味も徐々に失われていく。
 心の養分が徐々に消費されていくのが体感的にわかった。
 せめて、何か世話をしていたりする人がいたなら道を尋ねることもできたのに、運が悪いのかその姿も見られない。
 話し声すら聞こえない。
 風で草葉が揺れる音が聞こえるばかりだ。
 ……いや、こうなったらもう進むしかない。
 適当に歩き回っていれば、知っている場所に出るか、なくとも誰かに出会えるだろう。
 そんな気丈な考えで自分を奮い立たせ、私は花園の奥へと進んでいった。
短編 CDプレーヤ
 最近ではめっきり動かす機会の減ったプレーヤにCDをセットする。
 最近使ったのはいつだっただろうかなどと思い、記憶をたどってみるが、ここ数か月ではないという事以外、特に思い出すことはできなかった。
 少なくとも、プレーヤに埃が積もっている程度には使っていなかったという事だけは明らかだろう。
 ティッシュで適当に埃を拭うと、元の黒っぽい色合いのボディが当時のままの姿で顔を表した。
 懐かしさを感じながら、電源を入れる。
 ディスプレイにランプが点灯する。
 久々の操作に勝手がわからず戸惑うが、それも最初の数秒だけだった。
 すぐに思い出して、ディスク取り出しのボタンを押す。
 ゆっくりとした動きでトレイが突き出てくると、その窪地に用意したCDをセットした。
 後は再生するだけでいい。
 トレイが仕舞われたら、あとはオートで再生がされるはずだ。
 きちんと動くのであればいいが、しばらく使っていなかったという不安も幾分胸にはある。
 これで読み込みが上手くいかなかったなら、それこそ本当の持ち腐れだ。
 室内には自分しかいないというのに、変に緊張してプレーヤの前に立っている。
 傍から見ればかなり面白おかしい光景だろう。
 プレーヤの内部でCDがキュルキュルと回転する音が聞こえる。
 あぁ、そういえばこんな感じだった――懐かしさに浸りながら一時の甘美な瞬間を味わう。
 懐古というと年よりクサかったりする印象がありそうだが、これは昔を知る者しか感じ得ない快感だと思う。
 そして訪れる数秒の沈黙。
 この微妙な間ですら、懐かしい。
 現在のデータ音源にあるような、ワンタッチですぐ流れる音楽とはまた違った尊さがそこにはあった。
 そんなことを言うと、レコードの方が良いなどという人も出てきてややこしいことになるのだが、それは各世代ごとに引き継がれてきた伝統とでもいうのだろうか、そういうものとして受け入れなければならない。
 スピーカからイントロが流れる。
 ドラムとベースによる低音が空気を震わせる。
 ライブには遠く及ばないが、それでも心は動いた。
 それはメロディの懐かしさや思い入れもあるだろうが、それ以上に空気感が素晴らしかった。
 部屋の中に音楽が満たされていく感覚。
 どうしてこれを忘れていたのだろうと疑問すら抱く。
 新しい物に追いつこうと必死になりすぎて、おざなりになっていた自分が少し恥ずかしかった。
 そして改めて思う。
 人は自分の世代に生きればいい。
 新しい物は新しい世代に。
 古い物は自分たちと一緒に生き、そして消えればそれでいいのだと。
短編 トレジャーハント
 埃っぽい空気は、吸っているだけで体調を崩しそうになる。
 できることなら今すぐにでも換気をしたい所なのだが、生憎この場所ではそれすら叶わない。
 というのも、通気用の窓やダクトが装備されていないことにある。
 元より人が留まることを目的として造られた場所ではないので致し方ないのだが、それでもそんな感情を抱いてしまうのは、空気以外にも狭まった壁や床の影響も大きかった。
 おかげで大型の獣だとか、武器を持った人間に突然襲われるといった心配は少なかったりする。
 もっとも照明がなければ数メートル先も確認できないので、念のためにと左手には照明、右手には自衛用の武具を手にして進むのが常識だ。
 建造されたのは数百年前だということもあり、石造りの壁は所々が朽ちて、足元には欠けた壁の破片が転がっている。
 ダンジョンと呼べば聞こえはいいが、そこは常に危険と隣り合わせだ。
 それはエネミーとの戦いだけではない。
 トラップに引っかかる危険や、道に迷い戻れなくなる危険。
 ダンジョン自体が崩れてしまう危険もある。
 だからこそ、多くの人はこの場所を訪れることをためらうのだ。
 勇者なんていわれる存在とは縁遠い職業。
 良くてトレジャーハンターだとか呼ばれる程度。
 保守的な人間からは墓荒らしだとか呼ばれたりもしたが、学術的に貴重な資料の発掘に重要な存在として認知もされてきたりもしたが、多くはまだ知られていない。
 もちろん、こんな仕事だから当たりハズレはある。
 一回で数万の稼ぎがあったり、パンの一枚も変えない額で終わったりすることもある。
 また、ハズレだと思っても研究員にとっては有用な資料であったりすることもあるので、最後までわからないものも多々あるのが面白い所だ。
 ただ、昨今は入り口付近に物はなくなってきており、奥に入らなければ入手できなくなってきている。
 今の所、危機的な状況には陥ってはいないが、それもいつまで続くかはわからない。
 しかし、そんな心配をしていてはこの仕事などやっていられない。
 いかに今を生きるかが大事なのだ。
 未来の心配などしていては、今を生きていられない。
 だからこそ、貪欲に狩らねばならない。
 目の前には宝がたくさん埋まっているに違いないのだから。 
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