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短編 昔と今とをつなぐ場所
 放課後の校舎――特に人の気がなくなった夜の学校にはあまり良い印象がない。
 それはどうしてかと問われると言葉に困るのだが、なんというか、不思議な喪失感というか不気味さというか、そういった雰囲気があるように思えるのだ。
 日中は賑わいでいるから、そのギャップもあってのことなのかもしれない。
 後は夜の闇が持つ、独特の空気とでもいうのだろうか。
 科学的に考えれば、何の問題もないただの建築物だ。
 それなのに、そこに不安だとか恐怖だとか覚えてしまうのは、科学とは別のオカルト的あるいは宗教的な何かを投影してしまっているせいなのかもしれない。
 ただ、それが大人になると不思議な事にそういう感覚すらもどこかへ消え去ってしまう。
 実際、大人よりも子供の方がそういった感覚だとかが鋭敏だという。
 それが大人になると、徐々に劣化していって、どんどん鈍感になっていくのだ。
 第六感的な感覚であったとしても、それは例外ではないだろう。
 精神的にも多感な時期は、さまざまな可能性を純粋に信じることができた。
 頭ではそんなことないと思ってはいても、心の奥底では「もしかしたら」と可能性を肯定していた。
 ところが、大人になり、精神的に成熟し、科学的な思考に染まっていくと、その可能性はどこかへ消えてしまう。
 自分の経験から考えられる物理的現象のパターンを、現在体験している減少と照らし合わせて、答えを出す。
 それが、本当に合っているかどうかなどはどうでもいい。
 とにかく自分の持つ知識の範疇であるのなら、それに無理やりにでも結び付けて、思考を放棄したがるものなのだ。
 大人というのは難儀なもので、一定以上のトレーニングをしていなければ、大抵の事柄は負担であり疲労を伴う。
 それらを軽減しようとするのは動物的にも至って普通のことだ。
 だが、そんな大人たちであってもその可能性を肯定しなければならない時がある。
 それは、あらゆる可能性を潰された時――あるいは何かの拍子に童心を取り戻した時だ。
 目の前に広がるただの廊下。
 その先は暗い闇に包まれている。
 ――こんなに廊下って長かったっけ?
 ――これだけ歩いても先が見えないっておかしくはないだろうか?
 沸々と浮かんでくる不安が、学校という童心をくすぐる施設とリンクする。
 そう、学校という場所は特殊な場所なのだ。
 多くの人が、十年あるいはそれ以上、中学や高校という違いこそあっても構造的には大差ないそれに通い続けている、共感性のある施設。
 思い入れがないという方がむしろ珍しいだろう。
 そこで自分が今まで経験したことがない、超常的な出来事を体験したなら――。
 その可能性をふと脳裏に潜ませた途端、夜の学校はいびつな笑いを浮かべる事だろう。
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