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短編 ノーチェンジ・マイウェイ
 かみさまの存在を特別信じていたわけではない。
 ただ、なんとなく、近所に神社があって。
 ただ、なんとなく、そういうものなのだと思いながら。
 ただ、なんとなく、今まで漠然とした日々を過ごしてきた。
 だから、かみさまがいないと言われても別に憤慨もしなかったし、逆にいると言われても喜んだりもしなかった。
 だけど、両親はそういう人間ではなかったみたいで。
 誰かがそれを否定しただとか、誰もわかっていないだとか、ほぼ呪詛に近い言葉を日常的に吐き捨てていたのをよく覚えている。
 そういう両親だったからこそ、自分は一歩引いた目でそういう事案を見ることができていたのかもしれない。
 信教に熱心だといえば褒め言葉になるかもしれないけど、それも度が過ぎるとただの狂信者だ。
 彼らが他人からどういわれようと、それは自業自得であるので構わない。
 しかしながら、その血縁者ということで自分までその弊害を受けてしまうのは正直心外だった。
 だが、世間というものは弱者に厳しいものだ。
 自分より弱いあるいは下だと思える存在に対しては徹底的に叩き落とそうとする。
 中には生きている価値がないだとかまで言い出す輩までいる次第だ。
 それでいて自分は非常時にかみさまとやらに助けを求めるのだから都合のよい生き物だということがよくわかるだろう。
 それほど熱心に信教していない身の自分がいうのもアレかもしれないが、そういった言動に矛盾が生じている人をかみさまとやらが助けてくれるものなのだろうか。
 その答えは、恐らくでないだろう。
 人はなにかにすがって生きていくものだということが理解できただけでも人生は大きく変わる。
 今、こうして一人電車に乗って、新天地を目指している自分のように。
 別に、自分の親が嫌いなわけではない。
 彼らの信じているものが嫌いなわけでもない。
 ただ、自分たちを取り巻く環境が苦痛過ぎただけなのだ。
 苦痛から逃れることが悪いというのであれば、それはきっとただの苦痛快楽者の戯言だろう。
 それも、時間が経てばやがて忘れる。
 一か零かの世界よりも、もっと世界は複雑でたくさんの選択肢があってもいい。
 その可能性を踏み出したのが今の自分なのだ。
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