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短編 他人と自分
 特に変わった事も起こらない、俗にいう平凡な日常の一コマ。
 そこは大変心地よく、何の危機感も疑いもなしに過ごしていられる空間。
 ただ、それも長い事続くと刺激を欲してしまうのだから、人間とはわからないものだ。
 ところが、そういう事を口走っていると、どこからか平凡な事が幸せだとか言い出す輩がいるのも事実だ。
 でも私から言わせれば、それはいかに自分が大変なのかをアピールしているようにしか見えない。
 世の中には大変な人がいるんだよとか言われても、実際大変なのは自分じゃなくて、見ず知らずの他人なのだ。
 何故、そんな人の為に自分が一緒になって遠慮しなければならないのだろうか。
 私が遠慮したところで、それを大変な当人が知っているのだろうか。
 知らないのであれば、それはただの道化ではないか。
 その存在を認知しなければ、それは不在に等しいという解釈もある。
 つまりやっていないのと同義ともとれるわけだ。
 それこそ、自己満足で勝手にやっているのは個人の自由だし構わないだろう。
 でもそれを他人へと押し付けるのはただの悪癖であり、盲目の宗教家と大差ないのではなかろうか。
 自分の主義主張が正しいものと信じて疑わない姿勢。
 それはただの自己中心的な人間に他ならない。
 正義感だとか倫理観だとかいうが、そんなものに正解などありはしない。
 仲間内だけでそうだそうだと認知しあえばいいのだ。
 正しい事。
 間違っている事。
 良い事。
 悪い事。
 その違いは一体どこにあるというのだろうか。
 当然のように口にしている事柄こそ、曖昧さの上に成り立っている砂上の城ではないか。
 バケツ一杯の水をその足元へと放り込めば、一気に城は崩落する。
 こんなことを唱えていても満たされるのは空いた時間ばかりだ。
 何か面白い事でも起こしに行くか、それとも待つか。
 それが次の脳内会議の議題だ。
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